I made this so don't nick it
you are visitor number
 
Jaho
Setsu
Pictures
Links
Shogi
Camden
   
 
Setsu Japanese  |  Setsu English  |  Guest Book
 

There are no English pages for Setsu


Letter - Christmas 2002

MERRY CHRISTMAS & HAPPY NEW YEAR!

ついこの間久しぶりに日本で除夜の鐘を聞いたような気がしたのに、もう一年が立ってしまいました。年々歳々時の立つのが早くなり、こういう話を始めると、ミレニアムで花火を見たのがもう3年前とか、えっっ今の会社へ入社してから、ひええええ9年働きづめ!!?とか、際限なくボーゼンとしてしまうのでやめますが、何が言いたいかというと、せめて年に一度くらいは皆様に近況報告を・・・と思いつつ、いつも時間切れとなり何年もしなくてスミマセン、と言うことを言いたかったのであった。 お便りしてなくても、皆様のことはいつもシミジミ思い出してます。 なんとなくシミジミする今日この頃のワタシです。冒頭に戻りますが、何かの本で「人間は自分が今まで生きてきた年数に比例して1年を感じる。即ち5歳の子どもの1年はその子の人生の5分の1にあたる。年とると1年を早く感じるのはこのためである。」というような話を読みました。そーすっと、うちはジャホの方が若いので、あいつの方が1年が長いのだろうか。 なんだか面白くないわい。

うちはよく「今度はどこへ行くの?」と聞かれます。ここ数年イスラエル、ヨルダン、ペルー、トルコ中部と(実際にはそれほどでもないのだが)ハードな国への旅行が続いたので、そーゆーイメージが定着したらしい。年をとって体力がなくなる前に(この頃なんでも年のせいです)行きたいところへ行かねば、ヨーロッパは定年後でも行けるわい、という訳で、遠隔地に足を延ばしてますが、しかし実際ロンドンに住んでると、ヨーロッパは当分いいかな、という感じがするのも事実です。日本にいた時はあれほどハマってた(死語?)イタリアも、何せロンドンから2時間、いつでも行けると思うと、優先順位が下がるのです。それで、今年はメキシコはユカタン半島とグアテマラにマヤ遺跡を見に行って参りました。

最初は2週間でユカタンからメキシコシティも回ってそれからグアテマラ、と思ってたのだが、何故かどこの国も私が思ってるより実際の方がずーーーっと広いので、計画変更を余儀なくされました。そういう訳でアステカ王国のテオティワカンは行ってません。よく聞かれるので、ここでお答えさせて頂きます。で、今回の一番星はどこか?と聞かれれば、わたしはダントツでグアテマラのティカル遺跡群をご推奨申し上げる。ユカタンの州都カンクン(日本で新婚旅行先として人気があるんですってね、知らなかった)からプロペラ機で1時間半です。カンクンへ新婚旅行にいらっしゃる方は、是非足をお伸ばしください。グアテマラは緑の豊かな凄くきれいな国です。食べ物もうまい。トウモロコシ苦手な人はツラいかもしれないが。あのつらなるトウモロコシ畑の丘を見ると、朝に昼に夕に手を変え品を変えたトウモロコシ加工品が食卓に登場するのも納得が行きます。

ふっふっふ。食べ物に関しては、ホ家はついに学んだのです。今まで旅の相客から「あなたたち、それ食べて大丈夫?」と言われるくらい何でも食べてたのが、1昨年のペルーでゴロピーとなり、昨年のトルコで不覚にもサラダにあたり、ううう、やはり寄る年波には勝てん(またトシのせいだ)と、今回は周りを見回し研究。「ねえねえ、あの人たちキューリの真ん中だけ食べてるよ」「じゃ、うちも皮剥こう」てな具合です。 学習効果はどうか? 甲斐あって食べ物にはあたりませんでした。しかし、カンクンのリゾートホテルのプールで泳いだあと、濡れた水着のままプールサイドで半日昼寝したら、気化熱でオナカが冷えてゴロピーになったのであった。お陰でティカルは空っぽのオナカを抱えてジャングルを歩き回り、息も絶え絶えにピラミッドに登ることになったのである。

では、今までホ家は旅で何を食べて来たのか? 食材豊かなペルーから2、3例をあげましょう。

★ その@アレキパのクイ  標高殆どゼロメートルのリマから2300メートルのアレキパに飛んだら、あっと言う間に高山病になった。昼間は元気で市内を歩き回ったのだが、夕方からいきなり気分悪くなり、息も絶え絶えに夕ご飯抜きでホテルで寝るハメになってしまった。 そういう訳で、ペルーの郷土料理クイのローストはジャホのみが賞味した。 クイはペルーの言葉でモルモットのことである。本によると鳴きネズミとか高山ネズミとか書いてあるけど、見た目はモルモットに相違ない。 クイクイ鳴くのでクイと言う。 旅行に出る前「ペルーで有名な食べ物は?」と聞かれるたびに、「モルモットだよ〜」と答えて質問者を絶句させ、帰ってから事後報告を行うのを、うっひっひっと楽しみにしてたのに残念無念。ジャホによると、クイは姿焼きとなって出てきたそうだ。図解によるとシッポまで丁寧にグリルしてあるようであった。 目が合うと食べにくいので、頭をナプキンで隠して食べたとのこと。味は「濃い」そうだす。この後ジャホはアルパカのステーキも食べ、アルパカとクイにかけられたインカの呪いにより、お腹がゴロゴロになるのであった。ちなみにクスコの教会にかかってた最後の晩餐もメインはクイの姿焼きだ。

★そのA シュスタニのじゃがいも  チチカカ湖からシュスタニの遺跡に向う途中、農家に立ち寄った。農家のおばさんは、壺蒸しのジャガイモで歓待してくれた。ピンクや黄色や白の小粒なジャガイモの隣には、灰色のどろどろしたものを入れた小皿が置いてある。ガイドのアンヘルさんがそのどろどろを指して言う。「これは何に見えるでしょう?」 う〜む。泥にしか見えない。でもそんなこと言ったら失礼かしら。失礼よねーやっぱり。口を噤むギャラリーを見回して、アンヘルさんは嬉しそうに言い放った。「は〜い、これは泥で〜す!」皮を剥いた蒸しジャガイモにディップのように浸けて食べると、口内炎や胃潰瘍に効くのだそうだ。 ほら、こういうふうにネ、と食べてみせるアンヘルさん。同行者の友人メアリを見ると「もう、あたし、こんなの絶対ダメ!」と顔に書いてある。うちの夫婦はどうか言うと、既に条件反射的に手にもったイモが泥につけられている。なるべく周りに泥がつかないように口に放り込むと、中に広がる泥の味(泥食べるの初めてですけど)。間髪をおかずその味を追って口中に広がる乾燥するようなヒリヒリ感。このヒリヒリ感が潰瘍に効くのかなー、と思いつつさすがに2コ目には手が出なかった。まだまだ修行が足りん。

★そのBチチカカ湖の葦 ご存知の方も多いと思うが、標高4000メートルにあるチチカカ湖のインディヘナの住む浮島はトトラと呼ばれる葦で出来ている。(学術的には葦じゃなくてガマの仲間らしいけど、わたしには区別がつきません。)島の上の住居も同じトトラで出来ている。島から島へ移動するトラの頭がついてる可愛い船もトトラで作る。この船に乗せてもらった。アンデスの青い空の下、その青を映したようなチチカカ湖をトトラ船で行くのはなんとも気持ちがいい。そのうち船頭さんはトトラの茂みに船を近づけ、数本のトトラをバキバキと折り取った。重いのが3人も乗ったから船を補強するのかしらと思ってたら、ニコニコと1本づつくれ「食べれ」というジェスチャーをなさった。 このトトラは食用にもなるのである。 しかし!!! 船に乗る前アンヘルさんはこのようにおっしゃった。曰く「浮島に住むインディヘナの平均寿命は短い。原因は色々あるが、寄生虫の多いチチカカ湖の水を飲料水に使用するのもその一つである」。うううう。手に持っているのはそのチチカカ湖現地直送、加工一切なしのトトラである。しかしニコニコ笑って私を見つめている船頭さんの好意の品を、どうして抛り捨てられようか。で、食べました、ハイ。 スイカの白いところ(それも緑色が染み出してるへん)のような味がしました。1.5センチ程かじって、残りは船床の補強に寄付しました。

来年は いずこの空か ホリングワース (字余り)。 2003年も宜しくお願い致します。

2002年12月某日 節 子

Letter - Christmas 2000

結婚10周年記念旅行・ペルーへの遠くて長〜い道

★イギリス人はケチ 会社で同僚のダレンと無駄口を叩いてるうちに、旅行の話に なった。彼は秋にヒマラヤへ行くという。 エベレスト登山はしないが、標高6000メートルのところにあるベースキャンプまで 登るそうだ。 いーなー、あたしも そこまで行かなくても、エベレストが目の前に見えるという ホテル・エベレストに泊まって、世界の屋根を眺めたい…と、思ってるうちに、どっ か行きたい、どっか遠く、どっか遠くに行くぞ!!! と、3段跳びで旅行の決心は固まった。歳もとってきたことだから 体力がいるところ は 早目に行かねば。 そうだ、ペルー行こう! 空中都市とオーパーツのマチュピチュ、浮島のチチカカ湖、それにラマもいるし …という訳で、あっという間に旅行のパンフレットをかき集め、研究する。 う〜む、高い。 ボリビアなんかも入ってる魅惑のツアーだと、一人で給料2ヶ月がと んでしまう。 これが妥協の限界、と思われる内容のツアーでも、去年行った イスラエル・ヨルダンのほぼ4倍だ。 大英帝国のイメージからか 一般の方は余りご 存知ないが、イギリス人はケチである。 わたしの決定規準が「行きたいか 行きたくないか」であるのに対し、ジャホの規準は「高いか高くないか」である。10 年一緒に暮らしてきて、よ〜く 分かっている。作戦を練らねば。 とりあえず「今年はペルーに行こう」と言ってみる。「モロッコでも、いいけどさ、 どっちがいい?」と、聞いたのは、ジャホはモロッコに行ったことがあり、二者択一 ならば ペルーを選ぶであろう、という絵図である。果たして予想通りの返答、これ で あたしの一人決めだとは 言わせないぞ。 さて、ここで 料金をディスクローズしてしまうと、ケチのイギリス人が翻意するのは目に見えてい るので、第2段階としては ジャホの頭の中でも「ペルーに行くのだ」という意識が確立されるのを待つ。 旅行 日程も先に決めて 待つこと2週間。 「あのね、ペルーって遠いじゃん。だから、ヒコーキ沢山乗るから、ツアー結構高い みたい」「ふ〜ん。どれくらい?(声が一段低くなってる)」「え〜とね、最低でも 1000ポンド台みたいよ(実際は2000ポンドに近い方のオーダー)。」「(1オクター ブ トーンがあがり)高い!たか〜い! すっご〜く 高い! 高すぎる! ペルーみたいな物価の安いところに行くのに、何でそんなに高いんだ!」「あのね、 あたし 一人で行ってもいいよ。ジャホはそんなに行きたい訳じゃないんでしょ? つきあってくれなくてもいいよ。そしたら半額で済むし。」「南米は一人じゃ危ない んだぞ!」 「じゃ、二人で行こう。今年は結婚10周年だしさあ。 ダイヤモンド10コ付いた指輪買うより安いじゃない?」「・・・…。」「ジャホ、仕 事変わって、給料あがったじゃん。 それに うちの会社が契約してる旅行代理店だと、5%引いてくれるよ。 1000ポンド越える と、割引額も大きいよね〜。」 かくて 計画は予定通りに進み、ジャホが実際の料金に気付いたときは、ペループロジェクト は不可溯点(もう後戻りできないポイント)に到達していたのであった。 はっはっはっ。

★メアリの参加 不可溯点を過ぎたことではあるが、旅行代金を払い込むまでは キャンセル可能であることを 敵は知っているので、安心できない。 従い、保険として「ホ家はペルーに行くのだ」という現実を 回りの方々に知らしめ し、ジャホが 「行かない」 と言えない雰囲気を周囲にうちたてた。 そしたら、ジャホの高校時代の同級生、メアリが一緒に行きたい、と言ってきた。 よしっ、これで バックアップ体制は万全である。 メアリが苦労して取った2週間の休暇をムダにする、とは 最早ジャホも言うまい。 わ〜い、後は行くだけ、嬉しいな〜、と 昔読んだインカ帝国探検記、世界不思議物語やマチュピチュ発見ストーリー等思い起 こし(本の実物は日本に置いてきて手元にないのである) 夢を育んでいたある夏の日、メアリが 「予防注射はどうする?」 と 聞いてきた。 ・・…そんなこと、考えもしなかったもんね。

★予防注射騒動 「あたしは自分のココロの平安のために打つ」とメアリは言 う。 「・・・…何打つの?」「黄熱病とジフテリアとコレラと肝炎と腸チフスと破傷風とポ リオとマラリア。」 そんなに打ったら、注射の副作用でペルー行く前に 死んじゃうよー。 たった 2週間のホテルと朝ゴハン付きツアーなんだよ。 テント で寝るわけでもないし、リュックしょって アマゾン歩くわけじゃないんだよ。 どうして そんなに注射打つのさ、メアリって大袈裟ねー、と最初は夫婦でコンセンサスが一致 していたはずなのに、出発が近くになるにつれ、ジャホは大いに動揺してきた。 「マラリアと肝炎くらい、予防したほうがいいかな・・・。」 「いらん いらん! 黄熱 病だって法的にもペルーはいらんのよ。うちはツアーで行って (普段と比べると)立派なホテル泊まるし、標高の高いところばっかし行くから、 ぜ〜ったい いらんって。 」 しかしながら、メアリの「打ったぞ」の報告に、ジャホの不安はいよ増し、ペループ ロジェクトが危機に陥りかけたので、南米に行ったことのある人びとに情報を求めて みた。 意見は、概ね二つに分かれた。 意見その@ 日本人全員「2週間のパックツ アーでしょ? いらんいらん。それより高山病の心配したほうがいいよ。」 意見そのA 英国人全員「いらないとは思うけど〜、してった方が安心よ〜。」 な んのことはない、わたしら夫婦の意見も 人種別に この二つに分類されてしまうのであった。 日本対イギリスで平行線を辿るうち、出発1ヶ月前になってジャホは「黄熱病とジフ テリアと肝炎と腸チフスとポリオはする」という決心を固めてしまった。 自分で決心したのはいいが、ひとにも「ど〜して、打たないんだ」と、五月蝿いこと この上ない。 余り抵抗すると、旅行中ずっと あとをひきそうなので、大妥協して黄熱病だけすることにした。 なぜ黄熱病かというと、そのうち行きたいメキシコやパナマやチリやモロッコやジン バブエやシリアやパキスタンでも役に立ちそうだし(?)、有効期間が10年と長い のである。 それで、出発3週間前、英国航空の旅行医療センターに行って接種を受けた。(黄熱 病のワクチンは品薄で、国民健康保険の医者には回ってこないのだそうだ。)これで ジャホも静かになるだろうと思いきや、甘かった。「それだけ?」攻撃が3日間続い た。 根負けした わたくしは 更に妥協し「ラマに噛まれたときのために」破傷風も受けることとした。 これが間 違いのモトだったのよね〜。

★突発性注射禍 破傷風予防接種のため 出発2週間前にGP(主治医)に行くと、待合室にインフルエンザ予防注射のカラ箱が 積んであった。うちのデブ先生、インフルエンザの予防注射をするのが好きなので ある。 ここで ちょっと、嫌な予感。 果たして 診療室に入ると、先生開口一番 「さー、まず 話を聞く前に、インフルエンザの注射しようか! そー、また季節が来たんだよん!」と嬉しそうに言う。 以下 わたしと先生の会話。 「ちょっと待ってください。今日は破傷風を打ってもらいにきたので、インフルエン ザはしません。」「何で破傷風がいるんだ?」「ペルーに行くんです。」 「ペルーなら、ポリオと黄熱病と腸チフスとA型肝炎とコレラもいるぞ」 「黄熱病 は 先週英国航空でしました。先生がそ〜しろといったじゃないですかあ」 「じゃ、ポリオはまだ打てん。 破傷風と腸チフスと肝炎せねば。」 「破傷風だけ で結構です。」 「何故だ。同じリスクだぞ。」「規則ではどれも打たなくたっていいんです!」「そ んなもん、保険と一緒だ。 保険だって 入らなくたっていいだろうが。」「あたしゃ、パックツアーで行くんです。 他のはいらない。」「パックツアーだって、メシは食うだろう。」「一流ホテルに泊 まるんだから、そこで食べるもん。」「一流ホテルだって、ヤサイを洗う水は一緒な んだよ。」「あたしゃ、日本で育ったんです、蚊にだって刺され慣れてて タフなん だあー!」「日本は南米にないだろうが」「1日注射は1本まで、これは あたしの人生ポリシーなんです!」「1本ずつなんて打ってたら、オレが そのたび いちいち 書類を作成しないといけんだろうが」「痛いのダメなんです! 貧血起しますー!」「だいたい、こういう ワクチンは オレは 午前中しかしないん だよ。 書類揃えておくから 明日朝おいで。」わたくしはここで、しめちょ、このまま逃げたれ、と思った。「ハ イっ、分かりました! 明日朝来ます!」 「………」「明日朝ですね! 9時ですか!」「………」 (デブ先生、何か取り出して記入し始める。) 「じゃ、 明日 9時に来ますから!」「…やっぱり 今 特別に打ってあげよう。」 げげーーー! 「先生、い〜です、明日来ますってば! ココロの準備が出来てない から、いーですってば!」 「はい、腕まくって。 後で 腕痛くなったら 鎮痛剤飲みなさい。」「やだー! ど〜しても打つなら、鎮痛剤今くれー!」・・・…と いうわけで、打たれてしまった。 4本もいっぺんに。 4本目は何かというと、インフルエンザだそうだ。 ヒドイ。 お陰でペルーに居るあ いだ中、左腕が腫れてたじゃないか! ちなみにジャホは、ジフテリア、肝炎、腸チフス、ポリオをした。(破傷風のは6年 前にしたのがまだ有効だった。) 黄熱病は、ポリオを打ったあと3週間は出来ないということで、間に合わなかったの だ。 「ペルーでする」と当分言ってたが「それはヤメレ」と思いとどまらせた。

★いよいよ本番 …と かように、ペルーへの道は遠かったのである。 実際、飛 行機を乗り継いで、22時間もかかった! で、どうだったかと言うと、高山病にもなったし、お腹がゴロピーにもなったが、大 変に良かった! 万難を排して行く甲斐が充分あります。 でも、もうご報告のスペースがありません。 そういう訳で、最新ペルー情報がご入 り用のかたは、別途 ホ家までお問合せください。 ほな、良いクリスマスとお正月を!

2000年12月某日 節 子